「運命の人」って言葉、嫌いなんですよね。
僕個人、運命の人って言葉を毛頭信じていないのですが、あえて言おう。
運命の人は探すんじゃなくて、作るものである!(ドーン)
ベストなパートナーなんてそもそも存在しない
なぜ運命の人は探すものじゃなくて、作るものなのか。
これを説明するために僕の恋愛観を説明したい。
そもそも論で、運命の人(ベストなパートナー?)なんてものはないと思っています。
僕は先月結婚したわけですが「この人が自分にとって運命の人だ!」と思ったこともありません。
だって、そもそも付き合う人や結婚する人って、今までの人生の中で出会う人の中から選んでるわけで。
地球上の70億人いる人たちの中で、せいぜい1万人くらいの中から選んでるわけですよね。(数字は適当)
その時点でベストな答えなんて巡り会えるわけないですから。
さっき僕は「運命の人だと思ったことない」と言いましたが、「自分たちにとってのベストな人になってきた」とは思っています。
僕が言いたいのはベストは見つけるものではなくて、作るものだということ。
「ある程度の価値観の近さ」と「対話ができること」があれば十分
- ある程度の価値観の近さ
- 対話ができる
僕はこの2つの条件が揃えば誰でも付き合える、結婚できると思っています。
ある程度の価値観の近さというのは、すべて同じである必要はないのですが、価値観が遠すぎるとつらいから笑
昔、全く価値観の合わない人と付き合ったことがあるのですが、週7回会ったら6回は喧嘩していました。
さすがに毎日消耗して、疲れてしまいます。
話し合いをして、2cmずつ距離を縮めれたとしても、そもそもの距離が100キロくらい離れてたら、近ずく前に消耗しきってしまいますよね。
だからある程度の価値観の近さは必要。
「対話」ができることは、対話であって、議論ではない。喧嘩でもない。ただの話し合いでもないものを指しています。
討論と対話の違い。わかりやすい。 pic.twitter.com/3dOMXZCbcF
— 『学び合い』 (@manabiai) December 2, 2017
彼女でも奥さんでも、前提他人なので、すべての意見や考えがぴったり合うことってまずないんですよね。
繰り返しますが、他人ですから。
自分にとってどうでもいいことは別に良いのですが、譲れないことも出てくると思います。
例えば、
- ご飯食べた後にすぐに食器を洗うか否か、とか
- 朝はシャキッと目覚めるのか、ダラダラしたいのか、とか
- お布団から出たあとはちゃんと布団を綺麗にする、とか
ささいなものが多いですけど、こういう生活習慣とか、価値観の違いを少しずつ合わせてていく必要があると思うんですね。
それをそのままにして摩擦をつみかさねていくと、いつか大きな爆弾になる。
だから、お互いが無理しない程度の折衷案をお互いで考える。ということが必要です。
また、この時に重要なのが、折衷案であって、妥協案ではないということ。
妥協案にしてしまうと、どちらか(もしくはお互い)が我慢をしてしまうので、結局いつかガタが来ます。
これを積み重ねていくことで、お互いストレスのない気持ち良い関係性が作れるのかなぁと。 そのためには、そもそもで「対話」できることが必要だと思っています。
相手に感情をぶつけるでもなく、価値観を押し付けるでもなく、勝ち負けを決めるでもなく。
2人がどうなれば一番理想かを一緒に考える話し方が僕の考える対話です。
運命の人を作りましょ
少し話はそれたけど「運命の人」「理想の人」「最愛の人」「ベストな人」(なんでもいいですが)は見つけるのではなく、作るものだということ。
「ある程度の近さ」と「対話できること」の2つが揃いさえすれば、誰でも作れるでしょう。
それでも「私は待つの!」と言うのであれば、70億人の候補者に早めにアプローチした方が良いとおもいます。
おわり!!
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